小動神社 こゆるぎじんじゃ

撮影日:2007-04-30

所在地:神奈川県鎌倉市腰越2-9-12

海岸に面して鎮座しています。 神社横に休憩スペースがあり、ここから江ノ島を一望できます。 また、境内の海神社に祀られている亀の御神体がかわいいです。 神社までの階段も広く、開放感があります。

[御祭神]
  • 健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
  • 建御名方神(たけみなかたのかみ)
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • [海神社]
  • 綿津見神(わたつみのかみ)
[由来]
 文治年中(1185)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。
吾妻鏡によれば、盛綱は寿永三年十二月(1184)、
源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において
霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。
盛綱は神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、
近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしもとめていたが、
ある日江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登り大いに
その風光を賞せられ勧請の地と定められた。相模風土記によれば
八王子宮縁起をひき、「文治年中佐々木盛綱当山に詣で、
老松の辺りに到るに、この松平日風なきに枝葉靡き動く、
その妙音琴瑟の如し、天女遊戯の霊木なり。」とあり、
この霊地を神域として八王子宮を勧請したのが当社の期限である。
 元弘三年五月(1333)、新田義貞は北条氏討伐のため鎌倉攻めの際、
当社に戦勝祈願をされ、後に報賽として剣一振に黄金を添えて
寄進され社殿が新たに再興された。
八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖と称している。
 江戸時代、小田原城主大久保忠真公(十一万三千石)は「三神社」
の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは三柱の祭神を尊称したものである。
 明治維新にあたり社名を小動神社と改称し、明治六年十二月、
村社に列格された。明治四十二年、当所字神戸の鎮守であった
諏訪社を合祀し、昭和十三年七月、神饌幣帛料供進神社に昇格した。
昭和二十八年十一月、宗教法人に登録され神社本庁に所属し現在に及んでいる。
 境内地六百三十坪。
[例祭日]
  • 4月第2日曜日 [祈年祭(きねんさい)]
  • 7月7日近い日曜日 [天王祭(てんのうさい)]
  • 8月20日近い日曜日 [諏訪祭(すわさい)]
  • 12月第2土曜日 [新嘗祭(にいなめさい)]

神社碑

神社碑

鳥居

鳥居

休憩所の景色

景色2

日露戦勝碑

日露戦勝碑

■ 狛犬
赤い頭巾をかぶってるチャーミングな狛犬です。
吽形

吽形

阿形

阿形

■ 海神社(わたつみじんじゃ)
神使