撮影日:2008-08-24
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂154
県道204号線から5分ほどの場所に鎮座しています。 境内は広く、踊り獅子おみくじや宝物殿などいろいろあります。 最近は多いですが、神社にある自動販売おみくじはなんだかシュールな感じがします。
[御祭神]後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。 護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して 幕府軍と戦うなど、貢献しました。  幕府亜が滅亡し、天皇親政が復活(建武の新政)すると 征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立して 捕えられ、二十八歳で非業の最期を遂げました。 社殿の後ろ手に残る土牢が親王最期の地と伝えられています。 十月には境内で薪能が催されます。[例祭日]
鳥居
神社碑
手水屋
手水屋 ちょっとかわいい龍
拝殿
拝殿 獅子
御賽銭箱
大絵馬
厄割り石
願い串
おみくじ
獅子舞おみくじ、 踊ります
本殿
村岡義光公は護良親王の忠臣にして元弘三年正月吉野城落城の折、 最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、別れの酒宴をされました。  そこへ村上義光公が鎧に十六本もの矢を突き立てた凄まじい姿で 駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき自分が着用して 「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」 と告げて腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、その間に親王は、 南に向かって落ちのびました。  このように身代わりとなられた村上義光公を境内の樹齢一〇三年の 欅の大木にて彫り上げ「撫で身代り」として入魂いたしました。
拝殿
撫で身代り
身代り人形
建武元年十一月より翌二年七月二十三日迄約九ケ月の間ここに御幽居し給う。 深さ:約4メートル 広さ:八畳敷(4メートル四方)
獅子
木彫馬
御神輿