撮影日:2008-07-13
所在地:神奈川県横浜市磯子区岡村2ー13ー11
住宅街の中に位置していて、幼稚園が併設されています。 神社は坂の途中にあるのですが、坂下の十字路に大きな鳥居があります。 行った時には丁度お祭りの準備をしていました。
[御祭神]「岡村の天神さま」として、土地の人々から親しまれてきました 岡村天満宮の創立年代は不詳ですが、縁起によると鎌倉時代の 建久年間(1190~1198)に源頼朝の家臣が京都の北野天満宮の分霊を いただいて、この地に社を創建したといいます。 明治43年、杉山神社と大神宮を合祀して、杉山天満宮と称する ようになりましたが、昭和5年、永らく親しまれてきた町名をとって、 岡村天満宮と改称しました。 大正期には、元町薬師、野毛山不動とともに三大縁日として にぎわいました。境内には、「撫でれば患部の苦痛が除かれる。」 という石の牛像を始め、筆塚、針塚や、大正の頃ハマっ子に親しまれた 大阪役者「市川荒二郎」らの寄進した石灯篭もみられます。 また、この神社ゆかりの横浜人形「西瓜天神」や絵馬は 特色のあるものです。 [境内 由緒 より][例祭日]
大鳥居の神額
参道
鳥居
階段
手水屋
拝殿
筆塚
針塚
石碑
神楽殿
1対の狛犬の他、岩上にも鎮座しています。(昭和三十八年五月二十五日奉納)
吽形
阿形
岩上の狛犬
古い狛犬
 江戸近郊の神社にみかけられ、力くらべのために 奉納されたと云われて居るが古くは石に神霊がやどる という思想がありそれを差し上げることによって神の意を 知ろうとした一種の石占であった。  差し上げた人の名前や重量を刻して奉納したものや、 石そのものの名をつけたものがある。 八十貫、五十貫、四十貫のものが普通とされているが、 これだけの数がまとまって在るのは稀である。 [境内 力石について より]
 石牛像の作者は、当時横浜の吉浜町に居られた、 石工・石上三五八(サゴハチ)氏(石栄)です。 この方は清心女学院の校舎・旧帝国ホテル・三井信託銀行 東京銀行・外人墓地のアーチ等々の石造建造物を多く手掛けられた 当代の名石工と言われた方です。  此の牛像が出来た明治四十二年五月には、此の石牛に 五色絹をかけ、牛車に乗せて、吉浜町から鳶職百人の木遣りで 当所に納められたと聞きます。 [境内 石牛像説明より抜粋] 背中の部分の色でたくさん人に撫でられていることがわかります。
[御祭神]白笹稲荷大神 商売繁盛を守護する神であり人間生活に欠く事の出来ない、 衣食住を司る神である。 着る事、食べる事、住むことは大地の恵みを受ける事に他ならない。 太陽の恵み(天の恵み)に対する地の恵みであり、 本来は稲(命根)を初め五穀の豊饒を司る「大地の恵み」を象徴する 神であり人間の実生活に対して霊験あらたかな神である。 [境内 稲荷社について より]
鳥居
拝殿
鏡
御賽銭箱
拝殿左
拝殿右
神使(左)
神使(右)
一つの花に八つの実をつける非常にめずらしい「梅の珍種」として 知られています。 紅梅・うす紅 共に八重咲き・中輪咲きがあります。 此の名の『座論』は、花が実として完熟するまで、 その座に残るように競争しているかのように見えるので、 この名称がつけられたといはれています。 此の種のめずらしい梅は既に鎌倉時代には多くの人に 知られていたと思われます。 花は二月中旬、実は六月中旬が見頃です。 [境内 座論梅説明 より] 残念がながら花、実ともに時期ではありませんでした。