熊本神社 くまもとじんじゃ

撮影日:2010-04-18

所在地:神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1-3

京急線仲木戸駅近くに鎮座しています。 紆余曲折あるという大きく迫力ある狛犬が印象的です。

[御祭神]
  • 国常立尊(くにとこたちのみこと)
  • 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
  • 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
  • 天照皇大神(あまてらすすみおおかみ)
  • 素戔鳴尊(すさのをのみこと)
  • 少彦名命(すくなひとのみこと)
  • 武御名方命(たけみなかたのみこと)
  • 五十猛命(いそたけるのみこと)
  • 大物主命(おおものぬしのみこと)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 速玉之男命(はやたまのおのみこと)
  • 船玉神(ふなだまのかみ)
[由来]
 当社の御創建は寛治元年六月十七日(一〇八七年)醍醐三宝院宮勝覚僧正が
紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野に坐す熊野権現の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ヶ谷山上)に社祠を創立、神奈川県郷の総鎮主として熊野山社大権現と号し奉る。
口碑によれば、後三年の役に、源義家公社参せられ、帰途再び当地に立寄られ、
この地を幸ヶ谷と名付けられたと伝えられる。
 その後応永五年、山賊等のため社祠を焼かれ、僅かに草祠ばかりが存していたが、明応三年六月(一四九四年)上田蔵人が普請奉行となり宏荘なる社殿が再建せられた。 
 また、永正七年六月二十日(一五一〇年)権現山合戦の砌、兵火に罹り烏有に帰してしまった。 
 天正五年六月(一五七七年)時の別当恵賢僧都等が相計り社殿を建立し奉る。
天正十年七月、徳川家康公北条氏を御坂黒駒に討ち給いし時、当社が社前に待し、秘法を修し奉りしことなど、徳川家との関係深く、別当金蔵院に武州子机領神奈川郷の
内御朱印高拾石を賜ったので、代々登城し、御祈祷のお札を献上し奉ったと伝えられる。  その後、正徳二年(一七一二年)山上が逐次崩壊により、別当金蔵院の現地へ
遷し奉り、旧地には小祠を安置し、社地三反八畝十歩を有していたが明治四年之を上地す、
慶応四年一月七日(一八六八年)神奈川大火により烏有に帰したが。逐次債権整備し、
明治十七郷社に列せられ、明治四十年四月神饌幣帛料供進社に指定せらる。 
 昭和十一年八月御鎮座八五十年祭を斎行、二十台の山車が街中を巡行し、
盛大なる祭礼が繰りひろげられた。
 昭和二十年五月二十九日戦災により焼失、剰え境内地をも米国駐留軍により
接収せられたるため、やむを得ず西神奈川一丁目(二ッ谷町共有地)に還座、仮殿にて奉祀す。
同二十七年八月宮神輿を奉製、その後、接収解除となり再建復興に努め、同三十八年八月現社殿を完成、遷座祭を奉仕し、玉垣、社務所を整備、翌三十九年八月竣工奉祝祭を執行した。
 その後、四十一年十一月、地区内戦没者慰霊碑を建立、同四十九年八月
再建十周年記念事業として舞殿並びに氏子会館の増改築工事を完成した。
 昭和六十一年御鎮座九百年祭に当り記念事業奉賛会を結成し、氏子二十四町の
氏子並に崇敬者各位の熱誠奉仕により、御社殿の修復、手水舎の新築、神輿、神輿庫の
修理増築、参道敷石、氏子会館の修理、裏門の〆柱等を完成し、社域の整備を達成した。謹んで御事歴の概要を記し奉る次第であります。
(宮司 照本 力 記)
[境内 御由緒 より]

鳥居(昭和三十八年八月吉日建立)

鳥居(昭和三十八年八月吉日建立)

手水舎

手水舎

拝殿

拝殿

頭貫

頭貫

お賽銭箱

お賽銭箱

神輿蔵

神輿蔵

舞殿

舞殿

戦没者慰霊碑

戦没者慰霊碑

末社

石碑

■ 狛犬
嘉永年間 鶴見村石工 飯島吉六作
吽形

吽形

阿形

阿形